福勝寺について

福勝寺の歴史

福勝寺は高祖弘法大師空海が、唐から帰国された後に、河内国古市郡中村(現在の大阪府羽曳野市)に開基されたと伝えられております。
その後、一時は荒廃したようですが、正嘉年中(1257年~1259年)に覚済僧正によって京都油小路五条坊門の地に再興され、天文年中(1533年~1555年)以前に室町一条の地に移り、慶長十九年(1614年)~寛永四年(1637年)の間に春日京極の東の地(現在の寺町通丸太町下る東側)に移り、宝永五年(1709年)に現在の地に再度移転したと伝わっております。

本尊

当寺の本尊である薬師如来は別名「峰の薬師」ともいわれ、京都十二薬師の一つに数えられます。
こちらの本尊は五十年に一度しか開帳されない秘仏となっており、前回は昭和六十年(1985年)四月十五日・十六日・十七日の三日間だけ御開帳しました。
その節、一目でも御尊顔を拝し、その御利益に預かろうと多くの信者の方々が御参拝になりました。
今はもとの厨子にお納めしましたが、その中で、五十年後の未来を安んじ、世の中の平安を御念じになっていることでしょう。

福勝寺と豊臣秀吉

当寺には歓喜天(聖天)がまつられており、毎年大寒より七日間二十一座ご祈祷した御守を求めて節分には千人を超える方々がお見えになります。
豊臣秀吉はその歓喜天(聖天)に厚く信仰を寄せ、出陣の度に武運長久を祈願し瓢箪を奉納しました。
戦勝の後に、その瓢箪を持ち帰り「千成瓢箪」を作り、旗印にした話は有名です。
当寺が「ひょうたん寺」と呼ばれるのも、これより出たと言われています。
歓喜天(聖天)の例日が一日・十六日にあたるため、当寺では毎月一日・十六日は朝五時より本堂・聖天堂を開き、御参拝頂くことができます。

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